グローバルな戦略構築

中古車の検索や自主規制がどうなるかはともかく、摩擦が当分は続くと考えた場合・・・


そして世界の自動車産業の国際分業や国際産業協力の新しい可能性の広がりつつある今日・・・


現地生産を摩擦回避の緊急避難の次元で捉えるのでなく、より長期的でグローバルな戦略構築の次元で捉える必要性が高まっています。


そしてとくに対米現地生産の現状をみた場合、次第にそのような国際化の新しい視点が確立する方向に動きつつあることが看取されます。


対米現地生産には、トヨタ、日産、本田が、それぞれ特色のある3者3様の方式で取り組んでいます。


その海外戦略における位置づけも異なっています。


トヨタがフリーモントにおける現地生産でGMとの合弁生産方式をとるのに対し、他の2社は単独で100%子会社の手でこれを行っています。


最近ミシガン州フラットロックでの現地生産を発表したマツダの場合、フォードの遊休工場を活用した単独進出によるといいます。


また三菱自動車の場合、同じく中西部でクライスラーとの合弁で現地生産を発表しました。

貿易摩擦というプレッシャー

同じ現地生産に踏み切ったケースでも、VWの対米進出の場合のように・・・


マルク高による輸出採算の悪化という純経済的理由によるのとは対照的です。


貿易摩擦という政治的要因がらみのプレッシャーが契機となっています。


・・・したがってどうしても、そこでは摩擦の回避策という側面がつきまといます。


もっともこれは、欧米の水準に何とか追いつき国際商品力がついたと思ったとたんに、想像もつかないような摩擦が起こったのであり・・・


現地生産がその投資規模もさることながら、労働慣行や労使関係、生産システム、マネジメントのタイプ、日産 中古車といった思わぬ障害・・・


そして部品の調達システムや材料の供給のロジスティックに至るまで、まったく異質の社会で大きなリスクを覚悟しなくてはならないことからすれば、止むをえない点も大いにあるのでしょう。


したがって対米現地生産の意思決定の過程をみれば、トヨタ、本田・・・


それぞれに違った曲折をたどったのも、理由のないことではありません。


国際化の新しい展開


自動車産業の国際性がこのように強いことは、事業展開の面でも海外生産による多国籍化が欧米メーカーによって早くから行われたことにもあらわれています。


しかしながら自動車産業がいっきょに一足とびに国際化した事業展開をなしうるわけではなく・・・


欧米メーカーの先例をみても、まず国際商品としての地位をその生産する自動車について確立し、それを足がかりにして多国籍化しているのです。


ただ欧米の場合に比べて日本の場合、その国際商品としての声価を高めるまでの期間が極めて短かった上に、多国籍化へ踏み出すまでのタイム・ラグも非常に小さいという特徴があるのですが・・・


これを可能にしたものこそ、「日本の挑戦」だったといえるでしょう。


さて国際商品力を定着させることが日本の自動車産業の国際化の最初のステップだったとすると、中古車の情報の多い現在展開しつつある現地生産や合弁生産や共同生産などの動き・・・


これは、文字通りの国際化の新しい展開だということができます。


しかしこの新しい展開を見せた国際化は、日本の自動車産業の余りにも急速な国際競争力の向上。


そして、デトロイトの地盤沈下や欧州自動車産業の停滞による貿易摩擦の表面化によってもたらされたものです。


日本の自動車産業の国際化


第六点としては、これはすでに述べてきたところでもありますが、素材メーカーや部品メーカーを含めた集団的総合力の重要性を指摘したことがあげられます。


これに関連して第七点として活力ある中小企業や関連素材産業や、先端技術産業を包含するダイナミックな経済システムの存在が自動車産業の発展に不可欠であることを示したこと・・・


これもあげておかねばならないでしょう。


このような「日本の挑戦」が戦後の経過の中で歴史的につみ重ねられていくと、日本の自動車産業の国際競争力は強化され、日本車の国際商品性は高まり・・・


これによって輸出が急速に拡大しましたが、これが日本の自動車産業の国際化の始まりだったといってよいでしょう。


もともと自動車産業は国際性の強い産業です。


技術一つをとってみても、大量生産方式の生産システムにしても部品の生産システムにしても、自動車の設計技術からデザイン技術に至るまで国際的な技術の交流と移転の歴史がみられます。


また、日産 中古車など自動車に商品としての国際性があることは、全世界で生産されている約4000万台近い車のうち3台に1台以上が輸出されていることでも歴然としています。

増えていく中古車情報

第三点として、過度の標準化と単品量産型のスケール・メリット追求のもつデメリットを示し・・・


同じ量産工程であっても工程における創意工夫をつみ重ねて多品種少量生産をとることで、それを克服する条件があることを明らかにしたことがあげられます。


この点は、日本の自動車産業がそもそも限られた生産設備で多様な市場ニーズに始めから対応しなければならなかったという・・・


歴史的由来に負うところが多いです。


第四点としては、景気変動や市場環境の変化、そして技術変化に対応した生産の柔軟性が今後ますます必要となり、そのためにも工程設計の変更や設備改良や更新が柔軟に行われたこと。


部品生産から最終組立まで設計変更や技術変化に迅速かつ柔軟な対応ができることが必要であることを示したことです。


第五点として、第ニの生産工程技術の問題と関連しますが・・・


中古車情報が多い今、生産工程技術における現場の経験と学習活動の重要性を指摘したことです。


つまりQCサークルの経験や一見して単能化して見える生産工程での熟練の役割を考えた場合、現場や労働者全員の参加が必要だということ。


例えばIEや品質管理など専門家だけに過度に依存するシステム分析に頼ることは限界があり、現場と密着しない専門家管理の限界性が露呈されます。


"日本の挑戦"が提起した問題


集団的協働のシステムとしての相乗効果は、単純な計量的把握で推計できません。


また、自動車メーカー・レベルでの財務力や経営分析だけでは推しはかれないものであって・・・


日産 中古車を含む日本の自動車産業の潜在的な競争力の源泉でもあるといってよいでしょう。


そしてこのような集団的協働のシステムは、硬直化したシステムとなっている国内販売を除けば、環境変化に対する極めて柔軟な適応を可能にしていることも特筆されてよいでしょう。


・・・以上のような「日本の挑戦」が提起した問題は何であったかをまとめてみましょう。


まず第一点としていえることは、自動車生産システムにおいて、開発技術や工程技術の質的変化の重要性を無視した単純なスケール・メリット志向とスピード・アップ志向の設備生産性(設備能力本位の生産性)のもつ限界・・・


これを、日本のシステムが指摘したことです。


第ニ点としては、自動車の生産において現場の生産工程技術の累積が極めて重要な意味をもっており、自動化が進んでもこの意義は変らないこと。


そしてこのようなミクロ・マネジメントを通ずる生産管理、品質管理、購売管理におけるソフトウェアの蓄積が極めて重要であることを指摘したことです。

車への"夢"

百余年のクルマの歴史をひもとくと、クルマに一生を捧げた人たちのドラマティックでロマンティックな物語を無数に拾いあげることができます。


そして、そんな人たちが生み出したクルマが人々の手に渡って、再び無数のドラマを演じるのです。


巨大なプレス・マシンが轟々と喰りながら鉄板を整形し、立ち上がったカマキリのようなロボットが腕を振り回し火花を散らしてボディを溶接し、最終組み立てラインでは多くの人たちが黙々と同じ作業をくり返す・・・。


電気系の配線は絡まった蜘蛛の巣よりも複雑に見えます。


クルマの生産工程には、ロマンティックな香りなど欠片ほども感じるところはありません。


ひたすら無機質で冷ややかなイメージばかりが飛び込んでくるのに、アッセンブリー・ラインを離れ、エンジンに火が入れられると同時に、クルマはまったく別ものに変わります。


豊かな表情を見せ、ロマンティックな香りを漂わせながら語りかけ、わたしたちの心を捕らえて放さなくしてしまうのです。


これは中古車となった後も同じこと。


そして、この人の心を揺り動かすというところにこそ、クルマが単なる耐久消費財に留まらず独特の世界を創ってきた最大の理由があると思って間違いはありません。


・・・そしてここは、これからもクルマが多くの人たちにとって特別なものであり続けるためには、もっとも留意しなければならない点のひとつです。


クルマへのニーズはどう変化してゆくか

文明を否定しない限り、アダムとイブの時代に戻るほどの決意がない限り、クルマを否定する術はありません。


・・・ですから、あくまでもクルマを肯定しながら、前に進むしかないのです。


今後もますます日産 中古車は増え続けていくのですから・・・。


さて、「クルマは電気冷蔵庫とは違う」とはよく言われることですが、まさにその通りです。


キッチンの片隅で黙々と仕事をするだけでいい冷蔵庫であれば、基本的には機能さえ優れていれば用は足ります。


食料品がタップリ入って、強力な冷凍庫がついていて、モーターが静かで、電力を食わなくて、使いやすい構造になっていればそれでいいでしょう。


機能的な要求があるだけで、情緒的な要求など入ってきません。


冷蔵庫の専門誌もないし、冷蔵庫評論家もいません。


切々たる想いを込めて冷蔵庫のエッセイを書く人もいません。


・・・ところがクルマとなるとどうでしょう?


切々たる想いどころか、悶々たる想いを語り、綴りその姿を愛でる人は後を絶たないのです。

"手放せない存在"になった車

自由に遠くまで、しかも速く動きたいという人間の欲望を高度に叶えました。


・・・この欲望は、原始の時代から現代まで基本的に変わってはいません。


なぜなら、自由に使える大きなエネルギーを手にしたいという欲望は、動物としての本能にまで根ざすものだからです。


だからこそ、大きな危険をはらんでいることは十分承知しながらも、人々はクルマを否定することはできなかったし、逆にわれ先に飛びついていったのです。


文明というものが、ひたすら自由と利便性を追うものだとすれば・・・


中古車情報の氾濫やクルマは、まさに文明の象徴というべきものなのです。


そして、あまりにも人間にとって魅力的な道具であったがゆえに、自動車産業は巨大化し、怪物化し・・・


今や国家の盛衰にまで大きく力を及ぼす存在にまでなってしまいました。


社会構造にしてもクルマが背骨になっている部分は多いですね。


・・・そんなわけで、例え大きな負担を強いられようとも、わたしたちにとってクルマはもう手放せない存在になってしまっているのです。


クルマを否定できるか

自然に憧れながらも、本能的には自然の心地好さを求めながらも・・・


いったん都市の生活に馴染んだ人間は、狼雑さや種々の危険、無数のストレスの要素をはらんでいることを百も承知しながら、文明の利器に埋まった都市から離れることはできなくなっているのです。


・・・そんな人たちの手足になっているのはむろんクルマです。


クルマがあるからこそ、こうしたニ重生活は成り立つのです。


中古車情報の多い都市と田舎、文明と自然の間を自由に行き来するという大きな贅沢が可能になっているのです。


・・・とにかく、クルマは人間の生活圏を大きく拡げ、人間の欲望を懐深く包み込んできました。


昔は基本的には徒歩圏内にしか生活圏は築けなかったのです。


自分の足で届く範囲の中で一生を過ごした人は多かったのです。


馬を使うようになってからも、自ずと行動範囲は限られていました。


・・・しかし、クルマはその半径を無限に拡げました。