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オススメ中古車 アーカイブ

はじめまして(^∀^)

今日からブログを書くことになりました!


ここでは自動車についてのことを中心に、中古車情報などを紹介していきたいと思っています。


見ていて楽しいブログが書けるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。


新規需要がほぼ頭打ちになりつつある日本市場での輸入車のシェア・アップは、日本車のシェアを食ってのものになることはいうまでもありません。


・・・このように、どんな角度から見ても、国内の空洞化は避けられない状況になりつつあります。


1993年、日本の自動車の国内生産台数は1122万7545台、前年比10・2%減で終わっています。


これによって国内生産は連続3年のマイナスになり、4年ぶりに1000万台を越えたアメリカとの差は約36万台にまで縮まりました。


そして今後は、過去12年間にわたって守ってきた世界最大の自動車生産国の座はアメリカに戻るという見通しが強いのです。


アメリカの自動車産業

第ニ次大戦後のアメリカは、史上最強、史上もっとも豊かな国として世界に君臨していました。


プール付きの広く贅沢な家、きらめくハリウッドのスーパー・スターたち、フリーウェイを大河のごとく流れるカラフルな大型車の群れ、世界の若者たちの心を捕らえたアメリカン・ミュージック・・・


とにかく、アメリカは憧れと羨望の眼差しを一身に受けていました。


中でも、派手なテールフィンとカラフルなボディ・カラー、クローム・メッキと巨大なV8エンジンを積んだクルマは、豊かなアメリカ、強いアメリカ、世界一のアメリカの象徴でした。


当時のアメリカ人にとって、「石油は安く無尽蔵なもの」であり、1リットルで3~4㎞しか走らないようなクルマが大衆車として君臨していたのです。


・・・しかし、そんなバラ色の夢は長くは続かなかったのです。


ベトナム戦争の泥沼化による経済的な圧迫と中東戦争が引き金になった石油ショックによって、アメリカン・ドリームは徐々にその色を失い始めます。


同時に恐竜のようなアメリカ車には、ガソリンを大量に飲み干すという意昧で「ガス・ガズラー」のニックネームが与えられ、批判の声が高まってきました。


そしてさらに、大気汚染という名の黄色い不気味なドームがロスアンゼルスを厚く包み込むに至って批判は一気に高まります。


そして、ついにはあの厳しい排気ガス浄化を義務づけたマスキー法を成立させることになりました。


この頃から少しずつ、中古車情報の量が増えていきました。


小型車志向

前回述べたような流れは、リベラルな考え方をもつ人々やインテリ層を中心に小型車へのシフトを強め、日本車が一気に浮上するきっかけになりました。


しかし、それにはマスキー法にならった排気ガス規制を日本がいち早く取り入れ、クリーン化と燃費改良技術を急速なべースで開発していったことも大きく貢献したのは、いうまでもないことです。


・・・ところが、アメリカのメーカーはといえば、過去の成功体験の甘い夢を忘れることが出来ず、利益の大きな大型車に固執し続けました。


低燃費指向、小型車指向は一時的なものであり一度甘い夢をみたアメリカの国民は、必ずまた大型車に帰ってくると信じていました。


実際、そのときの中古車情報量は大型車の方が多かったのです。


しかも合理化への設備投資を怠り、古く生産効率の悪い工場での高い賃金の労働者による生産を続けたのです。


「世界一」「世界最強」を信じていたアメリカ国民の自信が、ベトナム戦争の泥沼化や新興国日本の強力な経済的侵攻によって揺らぎ始めたこともマイナスに作用しました。


・・・さらに、労働者と労働組合を手厚く保護する産業政策が、アメリカの労働者たちのモラル低下を引き起こした流れも足を引っ張ったのです。

日米間の摩擦

例えば、労働慣行の制度化による責任範囲の縮小が進むにつれて、労働者たちが個々の分担範囲以外の仕事に無責任になってしまったこと・・・


そして、レイオフ中も失業保険が支払われることによって労働力の滞留が起こってしまったこと。


あるいは、自分たちの立場を保護するために、新しい技術や生産システムの導入に反対するようになってしまった等々といったことです。


高い人件費、効率の悪い経営、生産性の低い工場・・・


そして低下した労働者のモラルは、古くさくて品質の悪い車を生み出し、アメリカ車の競争力は弱体化の一途を辿っていきました。


当時のアメリカ車を、アメリカ人たちは自嘲気味に「喘息を患った恐竜たち」と呼んでいたが、まさにそんな状況だったのです。


その間隙を縫い、中古車の情報の多い日本車は「安くて、燃費がよくて、品質がいい」という強力な武器を引っ提げてアメリカ市場に攻め込み、シェアをどんどん引き上げていきました。


その勢いは「日本車ディーラーをやれば、豪邸もヨットもすぐ手に入る」といわれるほどでした。


そんな日本車の勢いは当然日米間の摩擦を生み、自主規制というバリアを生むことになりますが・・・


それはさらに日本メーカーの現地生産を促すことになります。

ユーザーの信頼

現地生産にはいろいろな形態がありますが・・・


質が悪いといわれていたアメリカの労働力は日本流管理下の工場で十分競争力のある価格と品質の車を造れることを証明してみせました。


それが、アメリカのメーカーの再生への大きな道標になったことは多くが認めています。


80年代に入り、アメリカはようやく本格的なリストラに取り組み始め、生産性の悪い工場が次々閉鎖され、大胆な人員削減が行われ、厳しい品質管理と開発の合理化に取り組み始めました。


しかし、その効果が徐々に出始めたのが80年代後半に入ってからです。


「休暇前の金曜日と休暇明けの月曜日に生産された車は絶対に買うな」とか・・・


「ダッシュボードの中からコーラのビンが出てきても驚くことはない」といった70年代のアメリカ車を象徴するような話は、80年代後半には徐々に影をひそめました。


そして、90年代に入る辺りからユーザーの信頼は確実に回復に向かっていきました。


その一方で、リストラの犠牲になったアメリカの労働者たちが中古車情報の多い日本車をハンマーで叩き潰し、火をつけ、TVがそんなシーンを大々的に報道するといったこともありましたが・・・


この頃からビッグ・スリーが力を回復し始めたことは問達いのない事実です。


こうしてアメリカが力を取り戻し始めたのとほぼ時を同じくして、日本の自動車産業は円高と不況に襲われ、輸出不振と国内市場の冷えこみというダブル・パンチに見舞われたのです。


復活のシンボル

バブル期に生まれた高価な車を多く抱え、生産設備への莫大な投資が大きな負担としてのしかかり・・・


こうして、日本自動車産業はかつてない困難に直面することになりました。


さて、アメリカ自動車産業復活のシンボル的存在として、94年1月にデビューしたクライスラーのネオンという車が大きな話題になりましたが・・・


2リットルエンジンを積み、2個のエアバッグを組み込んで8975ドル(約90万円)という価格は、確かにセンセーショナルでした。


・・・もっとも、これはまったく裸のモデルであり、むろんエアコンなどついていません。


いえ、ついていないというだけではありません。


もし、つけようと思っても、このモデルのラジエーターでは冷却容量が足りないので、「エアコンはつけられない」のです。


それほどまでにシビアにドライに、コストを切り詰めた車なのです。


この車は当時中古車情報も多く、一般大衆にとても人気の高い車でしたね。


車で自由な時間を過ごす

例え大きな家に住んでいようと、しっかりした鍵のついた分厚い樫の木の扉で隔離されていようと、家の中にいるかぎりは決して真の意味での独りにはなりきれません。


・・・しかし車なら望みを叶えてくれます。


扉を閉め、ステアリングを握れば、車はわたしたちに鳥のさつな自由を与えてくれるのです。


海を見たければ見せてくれるし、山の空気が吸いたければ吸わせてくれます。


大声で叫びたければ叫べばいいし、夜空を唯一の友に想いに耽りたければそうもさせてくれます。


車は最高の弛緩空間であるとともに最高の思考空間でもあります。


もちろん場面を変えれば、最高の高揚をもたらす空間にもなってくれます。


公共交通機関の致命的な弱点はここにあります。


単に「ドアtoドア」という便利さに欠けるだけではありません。


・・・そこには「自由がない」のです。


こうしたことは、中古車情報などをいつもチェックしているような車好きの人ならきっとわかってもらえますよね。


自動車の終焉?

自由だということは、車と人間の関係を考えるときの非常に大きなポイントです。


・・・そして、多くの自動車への議論はここを抜きにして語られています。


前回記したようなことを求める人間のメンタリティは、おそらく基本的には永遠に変わりはしないでしょう。


仮想現実の世界に囲まれた世代の人間であっても、動物としての健全な本能を失わない限り変わりはしないと私は考えます。


・・・例えば、コンピューター・マシン相手に人間が抑えようのない愛を抱けるようになるものでしょうか。


そんなことはありえないし、あってはならないことです。


環境、資源、安全、政治・・・


どちらを向いても自動車を取り囲む壁は高く厚いものです。


悲観的な見方をする人には、最後は底無し沼に落ちるしかない迷路をさ迷っているかのように思えるかもしれません。


自動車の終焉です。


・・・しかし、中古車の検索サイトで見つけることができる自動車に取って代われる魅力的な移動手段が出現しない限り、それは不可能なことです。


自動車を囲む高く厚い壁

もし、自動車に意志があって、


「オレはもう役目を果たした。そろそろお役ご免といきたいところだよ」


・・・と言い出したとしても、わたしたちは必死に袖にすがって引き止めざるをえないのが現実です。


中古車情報の多い現在、世界で6億2000万台(推定)の自動車保有台数は、今世紀末までにはさらに大きく増え、7億台を超えるものと予想されています。


中国などを中心とした途上国の経済力がついてくると思われる10~15年後には、その増勢はより加速度を強めることにもなるに違いありません。


・・・こんな話をすると「地球はいったいどうなってしまうんだ」と叱られそうですが、現実的にはこうした状況を否定することは不可能です。


・・・となれば、厚く高い壁を一歩一歩でも上ってゆくしかないでしょう。


世界が手を取り合って少しでも悪い状況を減らす努力を重ねてゆくしか手はないのです。


そういう意味では、人間の欲望に限りなく寄り添って肥大化してきた今までの「自動車」のありよう・・・


より大きく、より速く、より贅沢なといった、つまり「拡大指向の自動車」が終焉を迎えようとしていることは確かでしょう。


クルマの未来のために・・・


未来にも自動車は間違いなく生き残るし、中古車情報もますます増えていくことでしょう。


車がわたしたちのよき友であり続けることも間違いはありません。


しかし、300馬力を求め、威嚇的なサイズを求め、8個のスピーカーを求めるといったことは厳しく戒められるべきです。


社会という枠の中で、地球という枠の中で、移動の自由と最高のプライバシーの場をもたらしてくれる車を失わないようにするためには・・・


わたしたちユーザーが"クルマ"の真の価値を再確認し、自らが肥大化した部分を削り落とす意識を強くすることこそもっとも必要なことなのです。


・・・そうしなければ、自動車は"終焉"の淵に向かって進まざるをえなくなってしまいます。


「自動車は人間の自由を奪っている」といった意見を声高に口にする人もいます。


「自動車はいつか地球を人間から奪い取ってしまうのではないか」といった不安を口にする人もいます。


・・・確かにそうしたマイナスの側面があることは否定できないですが、同時に自動車がわたしたちにもたらしたプラスもまた大きいことを忘れてはなりません。


クルマは人類の自由のシンボル

自然への回帰願望をもち、自然の保全を願う気持ちを多くの人たちがもつのは当然のことであり、何の不思議もありません。


鉄とコンクリートとガラスの箱に閉じ込められて日々を過ごし、人間関係の複雑な軋櫟の渦のなかでストレスを募らせている毎日であれば、何も遮ることなく水平線まで見える海が無性に恋しくなるはずです。


木漏れ日を浴び、爽やかな風と鳥のさえずりの中に漂うことを夢見るのは当たり前のことなのです。


・・・しかし、現代の人間にとって、そんな願望はあくまでも強い非日常性の下に捕らえられているものであり、また非日常性が強いからこそ願望もより強くなるのではないかと私は考えるときがあります。


言いかえれば、都市に住む人たちは、文明の利器や中古車情報などの情報に取り囲まれて日々を過ごしているからこそ・・・


ときに不便と不自由を味わいたくなるのでしょうし、それを快感として楽しむことができるのではないかということです。


都市に住むことによって生じる様々なストレスも、都市で生まれ育った人間にとってはある種の高揚感をもたらす覚醒剤的な役割を果たしています。


それを切らすと情緒不安定になり、精神に萎縮をもたらしてしまうことさえ多々あるはずです。


・・・むろん個々に差はあれ、人間とはそんな動物だと私は常々考えています。


自動車のプラスとマイナス

文明の発達は、人間に単なる物質的価値観の変化をもたらしただけでなく、精神構造的にも肉体構造的にも大きな変化をもたらしました。


中古車検索サイトの数が多いアメリカの都市生活者にとって、牧場をもつことは大きな憧れのようですが、その牧場には生産性など求められません。


敷地の中を馬が自由に駆け回り、小川が清流を運び、風が自然のままに吹き抜けていってくれればいいのです。


・・・しかし、自然とともに過ごすという憧れを実現できた幸せな人たちが牧場の中に建てる家は、都市生活とまったく変わらない文明の利器で埋めつくされています。


そして、週末になると、頭のてっぺんからつま先まで都市生活の香りをぷんぷんさせた友人知人を招いてパーティを開くか・・・


または、贅沢な4WD車に乗って都市の空気を吸いに出かけてゆくのです。


ヨーロッパでも金持ちはカントリー・ハウスをもっています。


しかし、そこはあくまでも週末のためにあり、バカンスを過ごすためにあるのであって、ほとんどの人たちは都市を離れようとはしないのです。

クルマを否定できるか

自然に憧れながらも、本能的には自然の心地好さを求めながらも・・・


いったん都市の生活に馴染んだ人間は、狼雑さや種々の危険、無数のストレスの要素をはらんでいることを百も承知しながら、文明の利器に埋まった都市から離れることはできなくなっているのです。


・・・そんな人たちの手足になっているのはむろんクルマです。


クルマがあるからこそ、こうしたニ重生活は成り立つのです。


中古車情報の多い都市と田舎、文明と自然の間を自由に行き来するという大きな贅沢が可能になっているのです。


・・・とにかく、クルマは人間の生活圏を大きく拡げ、人間の欲望を懐深く包み込んできました。


昔は基本的には徒歩圏内にしか生活圏は築けなかったのです。


自分の足で届く範囲の中で一生を過ごした人は多かったのです。


馬を使うようになってからも、自ずと行動範囲は限られていました。


・・・しかし、クルマはその半径を無限に拡げました。

"手放せない存在"になった車

自由に遠くまで、しかも速く動きたいという人間の欲望を高度に叶えました。


・・・この欲望は、原始の時代から現代まで基本的に変わってはいません。


なぜなら、自由に使える大きなエネルギーを手にしたいという欲望は、動物としての本能にまで根ざすものだからです。


だからこそ、大きな危険をはらんでいることは十分承知しながらも、人々はクルマを否定することはできなかったし、逆にわれ先に飛びついていったのです。


文明というものが、ひたすら自由と利便性を追うものだとすれば・・・


中古車情報の氾濫やクルマは、まさに文明の象徴というべきものなのです。


そして、あまりにも人間にとって魅力的な道具であったがゆえに、自動車産業は巨大化し、怪物化し・・・


今や国家の盛衰にまで大きく力を及ぼす存在にまでなってしまいました。


社会構造にしてもクルマが背骨になっている部分は多いですね。


・・・そんなわけで、例え大きな負担を強いられようとも、わたしたちにとってクルマはもう手放せない存在になってしまっているのです。


クルマへのニーズはどう変化してゆくか

文明を否定しない限り、アダムとイブの時代に戻るほどの決意がない限り、クルマを否定する術はありません。


・・・ですから、あくまでもクルマを肯定しながら、前に進むしかないのです。


今後もますます日産 中古車は増え続けていくのですから・・・。


さて、「クルマは電気冷蔵庫とは違う」とはよく言われることですが、まさにその通りです。


キッチンの片隅で黙々と仕事をするだけでいい冷蔵庫であれば、基本的には機能さえ優れていれば用は足ります。


食料品がタップリ入って、強力な冷凍庫がついていて、モーターが静かで、電力を食わなくて、使いやすい構造になっていればそれでいいでしょう。


機能的な要求があるだけで、情緒的な要求など入ってきません。


冷蔵庫の専門誌もないし、冷蔵庫評論家もいません。


切々たる想いを込めて冷蔵庫のエッセイを書く人もいません。


・・・ところがクルマとなるとどうでしょう?


切々たる想いどころか、悶々たる想いを語り、綴りその姿を愛でる人は後を絶たないのです。

車への"夢"

百余年のクルマの歴史をひもとくと、クルマに一生を捧げた人たちのドラマティックでロマンティックな物語を無数に拾いあげることができます。


そして、そんな人たちが生み出したクルマが人々の手に渡って、再び無数のドラマを演じるのです。


巨大なプレス・マシンが轟々と喰りながら鉄板を整形し、立ち上がったカマキリのようなロボットが腕を振り回し火花を散らしてボディを溶接し、最終組み立てラインでは多くの人たちが黙々と同じ作業をくり返す・・・。


電気系の配線は絡まった蜘蛛の巣よりも複雑に見えます。


クルマの生産工程には、ロマンティックな香りなど欠片ほども感じるところはありません。


ひたすら無機質で冷ややかなイメージばかりが飛び込んでくるのに、アッセンブリー・ラインを離れ、エンジンに火が入れられると同時に、クルマはまったく別ものに変わります。


豊かな表情を見せ、ロマンティックな香りを漂わせながら語りかけ、わたしたちの心を捕らえて放さなくしてしまうのです。


これは中古車となった後も同じこと。


そして、この人の心を揺り動かすというところにこそ、クルマが単なる耐久消費財に留まらず独特の世界を創ってきた最大の理由があると思って間違いはありません。


・・・そしてここは、これからもクルマが多くの人たちにとって特別なものであり続けるためには、もっとも留意しなければならない点のひとつです。


"日本の挑戦"が提起した問題


集団的協働のシステムとしての相乗効果は、単純な計量的把握で推計できません。


また、自動車メーカー・レベルでの財務力や経営分析だけでは推しはかれないものであって・・・


日産 中古車を含む日本の自動車産業の潜在的な競争力の源泉でもあるといってよいでしょう。


そしてこのような集団的協働のシステムは、硬直化したシステムとなっている国内販売を除けば、環境変化に対する極めて柔軟な適応を可能にしていることも特筆されてよいでしょう。


・・・以上のような「日本の挑戦」が提起した問題は何であったかをまとめてみましょう。


まず第一点としていえることは、自動車生産システムにおいて、開発技術や工程技術の質的変化の重要性を無視した単純なスケール・メリット志向とスピード・アップ志向の設備生産性(設備能力本位の生産性)のもつ限界・・・


これを、日本のシステムが指摘したことです。


第ニ点としては、自動車の生産において現場の生産工程技術の累積が極めて重要な意味をもっており、自動化が進んでもこの意義は変らないこと。


そしてこのようなミクロ・マネジメントを通ずる生産管理、品質管理、購売管理におけるソフトウェアの蓄積が極めて重要であることを指摘したことです。

増えていく中古車情報

第三点として、過度の標準化と単品量産型のスケール・メリット追求のもつデメリットを示し・・・


同じ量産工程であっても工程における創意工夫をつみ重ねて多品種少量生産をとることで、それを克服する条件があることを明らかにしたことがあげられます。


この点は、日本の自動車産業がそもそも限られた生産設備で多様な市場ニーズに始めから対応しなければならなかったという・・・


歴史的由来に負うところが多いです。


第四点としては、景気変動や市場環境の変化、そして技術変化に対応した生産の柔軟性が今後ますます必要となり、そのためにも工程設計の変更や設備改良や更新が柔軟に行われたこと。


部品生産から最終組立まで設計変更や技術変化に迅速かつ柔軟な対応ができることが必要であることを示したことです。


第五点として、第ニの生産工程技術の問題と関連しますが・・・


中古車情報が多い今、生産工程技術における現場の経験と学習活動の重要性を指摘したことです。


つまりQCサークルの経験や一見して単能化して見える生産工程での熟練の役割を考えた場合、現場や労働者全員の参加が必要だということ。


例えばIEや品質管理など専門家だけに過度に依存するシステム分析に頼ることは限界があり、現場と密着しない専門家管理の限界性が露呈されます。


日本の自動車産業の国際化


第六点としては、これはすでに述べてきたところでもありますが、素材メーカーや部品メーカーを含めた集団的総合力の重要性を指摘したことがあげられます。


これに関連して第七点として活力ある中小企業や関連素材産業や、先端技術産業を包含するダイナミックな経済システムの存在が自動車産業の発展に不可欠であることを示したこと・・・


これもあげておかねばならないでしょう。


このような「日本の挑戦」が戦後の経過の中で歴史的につみ重ねられていくと、日本の自動車産業の国際競争力は強化され、日本車の国際商品性は高まり・・・


これによって輸出が急速に拡大しましたが、これが日本の自動車産業の国際化の始まりだったといってよいでしょう。


もともと自動車産業は国際性の強い産業です。


技術一つをとってみても、大量生産方式の生産システムにしても部品の生産システムにしても、自動車の設計技術からデザイン技術に至るまで国際的な技術の交流と移転の歴史がみられます。


また、日産 中古車など自動車に商品としての国際性があることは、全世界で生産されている約4000万台近い車のうち3台に1台以上が輸出されていることでも歴然としています。

国際化の新しい展開


自動車産業の国際性がこのように強いことは、事業展開の面でも海外生産による多国籍化が欧米メーカーによって早くから行われたことにもあらわれています。


しかしながら自動車産業がいっきょに一足とびに国際化した事業展開をなしうるわけではなく・・・


欧米メーカーの先例をみても、まず国際商品としての地位をその生産する自動車について確立し、それを足がかりにして多国籍化しているのです。


ただ欧米の場合に比べて日本の場合、その国際商品としての声価を高めるまでの期間が極めて短かった上に、多国籍化へ踏み出すまでのタイム・ラグも非常に小さいという特徴があるのですが・・・


これを可能にしたものこそ、「日本の挑戦」だったといえるでしょう。


さて国際商品力を定着させることが日本の自動車産業の国際化の最初のステップだったとすると、中古車の情報の多い現在展開しつつある現地生産や合弁生産や共同生産などの動き・・・


これは、文字通りの国際化の新しい展開だということができます。


しかしこの新しい展開を見せた国際化は、日本の自動車産業の余りにも急速な国際競争力の向上。


そして、デトロイトの地盤沈下や欧州自動車産業の停滞による貿易摩擦の表面化によってもたらされたものです。


貿易摩擦というプレッシャー

同じ現地生産に踏み切ったケースでも、VWの対米進出の場合のように・・・


マルク高による輸出採算の悪化という純経済的理由によるのとは対照的です。


貿易摩擦という政治的要因がらみのプレッシャーが契機となっています。


・・・したがってどうしても、そこでは摩擦の回避策という側面がつきまといます。


もっともこれは、欧米の水準に何とか追いつき国際商品力がついたと思ったとたんに、想像もつかないような摩擦が起こったのであり・・・


現地生産がその投資規模もさることながら、労働慣行や労使関係、生産システム、マネジメントのタイプ、日産 中古車といった思わぬ障害・・・


そして部品の調達システムや材料の供給のロジスティックに至るまで、まったく異質の社会で大きなリスクを覚悟しなくてはならないことからすれば、止むをえない点も大いにあるのでしょう。


したがって対米現地生産の意思決定の過程をみれば、トヨタ、本田・・・


それぞれに違った曲折をたどったのも、理由のないことではありません。


グローバルな戦略構築

中古車の検索や自主規制がどうなるかはともかく、摩擦が当分は続くと考えた場合・・・


そして世界の自動車産業の国際分業や国際産業協力の新しい可能性の広がりつつある今日・・・


現地生産を摩擦回避の緊急避難の次元で捉えるのでなく、より長期的でグローバルな戦略構築の次元で捉える必要性が高まっています。


そしてとくに対米現地生産の現状をみた場合、次第にそのような国際化の新しい視点が確立する方向に動きつつあることが看取されます。


対米現地生産には、トヨタ、日産、本田が、それぞれ特色のある3者3様の方式で取り組んでいます。


その海外戦略における位置づけも異なっています。


トヨタがフリーモントにおける現地生産でGMとの合弁生産方式をとるのに対し、他の2社は単独で100%子会社の手でこれを行っています。


最近ミシガン州フラットロックでの現地生産を発表したマツダの場合、フォードの遊休工場を活用した単独進出によるといいます。


また三菱自動車の場合、同じく中西部でクライスラーとの合弁で現地生産を発表しました。

日本車メーカーの特色

トヨタがGMの遊休工場の施設を活用し、UAW組合員を雇用してトヨタ生産方式を可能な限り採用しようとしているのに対し・・・


日産、本田はUAWの影響の少ない農村地帯で、主として機械化農業の経験をもつ農民出身の労働者を自ら訓練し淘冶していく方式をとっています。


マツダ、三菱はおそらくUAW組合員を雇用するでしょう。


そして日産 中古車のテネシーと本田のオハイオを比べても工場の規模やレイアウト、自動化のやり方や生産システム、そして部品納入システムなど、それぞれ特色をもっています。


いっきょに大規模な一貫ロボット工場をつくった一点集中型の日産に比べて、本田は2輪車からスタートして徐々に4輪車に重点移行する漸進型ですが・・・


最も早く対米進出をきめたこともあって投資規模は比較的小さく、それを事業展開に合わせて段階的に積み重ねてきています。


オハイオには組立工場だけでなくエンジン工場も新設中です。


さらに今後はカナダの組立工場も建設され、両者が連携した事業展開が計られるといいます。

日本的マネジメントと生産のシステム

各社それぞれ同じ現地生産でも特色のあるやり方がとられているのですが・・・


このことは、現地生産における一つの大きなテーマである労使関係の安定と、日本的経営のシステムの何らかの形での移転についても言えることです。


一般的には労使の信頼関係とコミュニケーションを改善し雇用を安定させていきながら、相対的に少ない設備と人員で高い生産性と高品質の両立をはかるために、日本のすぐれた生産技術や生産システムを移転することが求められるのですが・・・


そのやり方そのものも、現地の実情に沿っていろいろと柔軟なやり方を実験することが求められるでしょう。


決して日本でのやり方をその通り機械的にやらせるというのでなく、現地の工場管理者なり労働者が自発的に問題を発見し・・・


そして、日本の生産システムの移転可能な普遍的部分を自らの手で体得し実践するとき、初めてこの実験が大きな国際的意義をもつことになるのです。


中古車情報が多い今、このような日本的マネジメントや生産のシステムを、アメリカなり欧州なりの土壌に移転するというのは・・・


いってみれば経営システムにおける文化的障壁を超えた一種の相互乗入れという国際化の大きなテーマを実践することを意味します。


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