日米間の摩擦
例えば、労働慣行の制度化による責任範囲の縮小が進むにつれて、労働者たちが個々の分担範囲以外の仕事に無責任になってしまったこと・・・
そして、レイオフ中も失業保険が支払われることによって労働力の滞留が起こってしまったこと。
あるいは、自分たちの立場を保護するために、新しい技術や生産システムの導入に反対するようになってしまった等々といったことです。
高い人件費、効率の悪い経営、生産性の低い工場・・・
そして低下した労働者のモラルは、古くさくて品質の悪い車を生み出し、アメリカ車の競争力は弱体化の一途を辿っていきました。
当時のアメリカ車を、アメリカ人たちは自嘲気味に「喘息を患った恐竜たち」と呼んでいたが、まさにそんな状況だったのです。
その間隙を縫い、中古車の情報の多い日本車は「安くて、燃費がよくて、品質がいい」という強力な武器を引っ提げてアメリカ市場に攻め込み、シェアをどんどん引き上げていきました。
その勢いは「日本車ディーラーをやれば、豪邸もヨットもすぐ手に入る」といわれるほどでした。
そんな日本車の勢いは当然日米間の摩擦を生み、自主規制というバリアを生むことになりますが・・・
それはさらに日本メーカーの現地生産を促すことになります。